(10)変わらないことを維持し続けることこそが幸せ

 吾輩はシステムエンジニアーである。やはり、前回の話もすこぶる面白くなかった。人間は追い詰められていると、ひたすら、自分のできることをやり抜こうとするからだろう。吾輩にも気持ちにゆとりがないのだ。ちなみに、試験前に部屋の掃除をしたくなる現象のことを、セルフ・ハンディキャッピングというそうであるが、追い詰められているときに、自分が書ける、自分がふさわしいと思うコードを書ききった里見さんのコードについても、同じようなことなのかもしれないと思った。いや、彼女は決して逃げたわけじゃないのであるが。

 彼女のコードは確かに清々しく、コーディング規約にも違反していなかった。そして、彼女の言葉からわかったように、この業界に入りたてのころに覚えたロジックを正義として書かれたわけである。しかし、それは吾輩には、彼女の中のテンプレートを使い回しているだけにしか見えなかった。メインフレームの有史以来、プログラマーというものはそういうものだったのかもしれないが、いつかどこかで書いたコードの反復がわれわれの仕事ではないと、吾輩は思いたいからだろう。それが、経験やスキルと呼べるものだったとしても。
 しかしながら、吾輩のプログラムが、果たしてテンプレート化していないのかということも自問自答しなければならないと、強く自分に言い聞かせる。そして、比較的若い今の年代では、いろいろなことに対応できていっているかもしれないが、将来、家庭を持ち、変わらないことを維持し続けることこそが幸せだと思えるようになったとき、吾輩はこんな気持ちでいられるだろうか。

 プログラマー30歳定年説が覆されて久しいのは、設計書を書いている時間がないのと、プログラムの生産性が飛躍的に向上しているからであるが、吾輩は、30歳を境に、コーディングへの執着は失せている。代わりの執着は、人間も含めた「システム」というものが出来上がっていくさまである。対して、吾輩のスマホは8ヶ月前のアップデイトをわざと適用していない。スマホは電話であり、不必要なアプリもほとんど入れておらず、ブラウザとメールさえ使えればよい。今使えているものをわざわざ刺激する必要はないからだ。

 さて、わがままな彼女も出社したし、事情聴取も終わった。最近、額も汗ばむようになってきたので、この現場で初めてジャケットを脱ぐ。スーツの上着は、椅子の背もたれに掛けると型崩れすると何かで読んだので、ていねいに左右に折りたたみ、襟のほうをつまみながら、オフィスのすみの衣文掛けに掛ける。吾輩がカフスボタンをしても不自然じゃなくなるのはいつになるのだろうかと、いつもと同じことを思いながら、袖のボタンをはずし、腕まくりをする。同僚たちも、昼食を終えて帰ってきた。さて、やるか。

「設計書のここのところなんですけど、もしかしたら、情報系のシステムからデータ連携があるかもしれないから、もう少し、拡張性を持たせておいてほしいんですけど。」
「でもそれ、その先のテーブルに連携データをいれておけば事が済むんじゃないんですか。」
「いや、別のプログラムを起動できるようにしておいてほしいんです。」
「んー、安藤さんのメモを見ましたけど、データ連携のプログラムは、サーバーにあるジョブスケジューラがをキックするとのことだったので、これで問題ないとお客さんのレビューまで行ってますよね。」
「これ、新しいほうのサブシステムなんですけど、まだ、ジョブスケジューラの選定まで至ってないんです。」
「まーたそれですか。この前の帳票の件もそうだったじゃないですか。なにも決まってないなかで、いろんな場合を想定して作ったのに、僕が聞いていないことが最後に出てきた。もうそういうことはこりごりなんですけど。」

 いやいやこちらも、まーたなんか穏やかじゃない会話が耳に入ってきた。プロジェクトにとって最適な方法を検討した結果の、浅見プロジェクトリーダーが、尖った山中さんをなだめている構図だ。安藤さんのメモがポイントのようだが、安藤さんは振り向きもしない。帳票の件という発言も気になる。
 見かねて、少し離れた場所から、髪の毛を下ろした白髪のおじさんが、書類をもってこちらにやってきた。彼はふたりの間に割って入り、言葉を発しようとしたとき、ハッと気がついた。髪形が変わってて、まったく気がつかなかったが、吾輩が新人サラリーマンのときに世話になった、あの頃からフリーランスの小倉さんじゃないか!