(19)この質問の大義名分

 吾輩はシステムエンジニアーである。吾輩の知っているフリーランスはいちいち進捗を聞かれることを厭う。

「いや、抵抗はないですよ。この近辺のお店よくわからなかったのでちょうどいいですね。ご一緒させてもらっていいですか。たぶんこの近くだとあのチェーンですよね。だったら、親子丼が食べたいです。」
との里見さんからの快諾を受け、自宅の最寄り駅がどこで、通勤には何分くらいかかるのかという可もなく不可もない話をしながら、あのチェーン店に向かう。ここは、カウンターだけでなくテーブルもあるので、昼時でもわりと座れる。ちょうど開いていた角のテーブル席に二人で向かい合わせに座り、彼女の親子丼と、吾輩のミニ牛丼とかきあげうどんが運ばれてくるのを待つ。ここまでくる間のそこそこの会話をもうひとつ掘り下げてみる。
「里見さん、そういえば、あンとき、ループの後判断とか前判断とかつまらん話をして申し訳なかったです。」
「ああ、いえ。ああやって、自分のコードについて意見されたことがなかったのでついムキになってしまいました。こちらこそ失礼しました。あのあと、ほかの人のコードも見るようにして、ループの前判断と、局所変数を使うようにして修正してます。私、この業界は三年目くらいなので、まだプログラムがよくわからないんです。」
 ふむ、彼女も吉沢さんと同じパターンか。、残念ながら、吾輩には彼女の前職にふみこむほど気持ちのゆとりがなかったが、彼女が続ける。

「だから、私の前の席の山中さんが、すごいと思うんですよね。プログラムも上手だし、ドキュメントも早い。何よりもすごいと思うのは、お客さんに正論を述べるところですよね。私には正論が何かがわからないし、お客さんと言い合う度胸もないし、結局、したいかしたくないかぐらいしか言えない。」

 正論というのはニュアンスが違うような気もするが、自分が不勉強であるということはよくわかっているのか。そして、したいかしたくないか、というより、これならできる、こうあるべきという思いの赴くままにプログラムをしているのか。それは、アレだな。僕が二十年前に実家にあったウィンドウズでホームページとスクリプトを夢中になって書いてたのと同じだな。両親に見せて意見されたときに、受け入れられずに言い返したことを覚えている。

「理由を説明すればいいだけだと思うんですけどね。理論武装が不足しているときは大義名分でもいいんですけど、まっとうな理由を説明するには知識がいるし、知識がある程度たまったところで自分なりに体系付けして、それらを横でつなげないといけない。いつまでも条件反射だと、仕事は早いけれど、いわゆる応用が利かなくなる。スミマセン、同じくらいの年なのに生意気言って。やっぱりこういう話になっちゃった。」何かに気づいたようにじっとこちらを見ながら、沸き起こるなにかを押し殺すように彼女が答える。

「そういう山口さんは何年目なんですか?」
「私ですか。私は十年サラリーマンやって、この春に辞めました。十一年目です。でもテクノロジーは変わってますしね。年数なんてあんまり関係ないと思いますよ。」
「十年もやってたら、役職もついてた頃じゃないですか。なんで辞めたんですか?どうしてフリーになったんですか?」

---しまった。この質問の「大義名分」を用意していなかったと、口ごもっているところに、「親子丼と、かきあげうどんセットお待たせしました。」という助け舟が出た。二人の目の前にどんぶりが三つ並べられるのを見ながら、割り箸を割って、大義名分を考える。

「えっと、社内政治みたいなものに負けたんです。ちょっと会社に居られなくなった。」
「そうですか。いろいろあるんですね。人間関係というやつですかね。」
 七味を振りかけながら、里見さんが訊ねる。

「そうですね。そういうようなことです。」
 と吾輩は、少し無責任気味に放ち、うどんの出汁をすする。話題を変えたかったわけではなかったが、次の話題を思い出す。

「そういえば、私の『大き目』のほうが明日には終わりそうですけど、里見さんどうですか?いやっ、進捗ってわけではないんですが。」
 吾輩の知っているフリーランスはいちいち進捗を聞かれることを厭う。

「んー。残念ながら、ご存じのようにちょっと凝り固まったコードになってるんで進みが悪いです。私はあと三日くらいはかかるかも。」
「そうですか。じゃあ、私、手伝いましょうか。仕様はなんとなく頭に入ってるんで。お昼終わったら、浅見さんに言ってみます。」