(21)デリバリーではなくムーディー

 吾輩はシステムエンジニアーである。このコロナ禍でテレワークが急速に浸透したが、我々がわかったことは「テレ」でも「テレでなく」ても、個人の本質的な仕事のやり方は変わらなかったいうことではなかったか。

 密を避けるという事情を機に、それぞれの会社のコラボレーションツールは、整備されたというよりは使わざるを得なくなり、個人PCの仕事フォルダーの同期先が、イントラのファイルサーバーからクラウドに変わっただけで、本来の、誰がいつどこにいても同じ情報や同じノウハウにアクセスできるという本来のツールのポテンシャルは活かせているか。
 ウェブ会議は、会議室の数と、参加者の現在地からは解放されたが、オフィスに出勤していたとき、隣にいきなりどっかと腰を下ろし言いたいことだけを言っていたひとは、同じように、ぶしつけにいきなり通話ボタンを押して呼び出してきたのだろうし、メールでやりとりすればいいだけのことを、わざわざウェブ会議で確認したがったひとは、テレワーク以前は、ウェブ会議では伝えられないから、こちらに来いというひとだったろう。

 20年前の「ブロードバンド」によって、「ビジネスにおける物理的な距離」はさらに飛躍的に縮まったが、同時に整備されたコラボレーションツールをセットにした、それらを利活用するスキルと、遠隔地であるからこそ必要なコミュニケーションスキルの向上こそが、コロナ禍以前の「テレワークの定着」に密接に関わっていたはずだったが、ウィルスの広がりはそんな高尚なものの成熟は待たなかった。むしろ「出勤」というものが、日々自分を見失わないようにするために必要であったのだと気づかされ、それに代わるものを探し続けた日々であったろう。
 すっきりとしない気持ちは、チャットメッセージにどのような影響を及ぼしたかわからない。ただ、上下関係のある組織での「仕事」では例外はある(と思いたい)として、距離があるテレコミュニケーションで、もっとも重要なことは「他人は自分の道具ではない」とつねに考えておくということだろう。依頼時に尊重すべきは、それを言われた相手の気持ちであって、メールやチャットメッセージの転送は、たいへん「ムーディー」だが、それだけで「デリバリー」が完了しているとは言えるだろうか。相手を尊重するということは、必要以上にへりくだるということではなく、依頼する側の役割に応じた主体性を、依頼される側に伝えるということではないだろうか。

 さて、吾輩こと山口は、一身上の都合で、10年務めたシステム・インテグレーターを辞めてフリーに転向し、ランサースタイルさんより、火消し案件であるこの現場を、個人事業主のデビュー戦として共同受注した。1ヶ月の短期案件で、はじめの二週間は、元請の体制がいびつで、メンバーの仲があまりよくないこと、自身の考えるフリーランス像との乖離、さまざまな経緯とさまざまなスキルを持ったエンジニアが、炎上案件で身を守っているさま、そして、相変わらず「仕様がない」ことだけでなく、なければならない「いろんなことがない」こと等々を感じてきた。そして、このプロジェクトがうまくいくように、この10年の経験を活かして、末端からではあるが「動いて」きたつもりであったが、先ほど、元請とエンドユーザーで検収、要するにお金に関する約束ごとがなされ、毎日の進捗会議、スケジュールの遵守、場合によっては、宿泊費や交通費は負担するので徹夜も辞さないという、いわゆる「炎上宣言」がプロジェクト全体でアナウンスされた。

 その会議の、長さと要領の得なさ呆けながら、吾輩が喫煙所に向かったとき、元請の会社の川村さんからセクハラ気味につきまとわれているのは容姿端麗だからで、実はシングルマザーであると、この短い間でわかった、吉沢さんは「何かあったら、営業の出水さんに文句言いましょ。」という吾輩の発言を聞いて「なんだか、山口さん楽しそうですね。」と言ったが、別に楽しいわけではない。いよいよか、仕方がないかと、身が引き締まる思いではあったが、決して楽しいという感情ではない。

 そもそも、こんなバラバラな現場で、こんな施策がうまくいくのだろうか。さっき見たWBSでは、積み残し機能の設計をしているはずの二次請けのレインボーソリューションの安藤さんや桜木くんにもテストのタスクが割り当たっていたし、最初のころ「自分が書いた以外のコードのメンテはしません」とか言って現場に来なくなった里見さんはまた来なくなるかもしれない。ただ彼女とは、タスクの入れ替えを吾輩との間でしてみせることで、少しは考えが改まってきたようにはみえる。
 いちばんの問題は「新規開発をしてもらうことがプロジェクトにとって最適な作業であ」った山中くんは会議での発言を制されたが、どのように説き伏せるつもりだろうか。レインボーソリューションの浅見リーダーのお手並み拝見である