(7)そんな子供みたいなことを言ってないで

 吾輩はシステムエンジニアーである。現場には、受け入れられないこともある。

 今朝は、予定通り早起きだったが、昨日は久しぶりの男の自炊だったせいか、お腹の調子が悪かった。結局、朝のイベントに時間がかかってしまい、オフィスのゲートにIDカードをかざしたのは、始業の3分前だった。ピピッと音を立てて開いたゲートを通り、吾輩は、我々のプロジェクトの島に目をやる。この時間になるとほとんどのメンバーが揃い、静かに着席しているのだが、今日は、元請のプロパーの数人が立ち上がり、朝には似つかわしくない調子で、席をまたいだ会話が繰り広げられていた。

「あれ、何かあったんですか?」
 デスクに腰掛け、かばんを一番下の大きい引き出しにしまいながら、吾輩は、隣の席の吉沢さんに、ひそひそと尋ねた。
「里見さんがね、お休みなんだそうです。」
「それは心配ですね。お腹の調子でも悪いのかな。」
「いや、そういうのではないみたいで。『話と違う』とか言って、浅見さんに一方的にLINEを送ってきて、音信不通なんだそうです。返信も既読にならないし、電話も出ないみたいで。」
 どうやらゆゆしき事態のようである。続けて吉沢さんに問う。

「うーん。話が違うってなんなんですかね?」
「私、昨日、8時半くらいまでいたんですけど、7時くらいに、里見さんが浅見さんに呼び出されて…別室で打ち合わせをしてたみたいなんですけど、 30 分くらいして、里見さんが、涙目で怒ってるみたいなそんな感じで帰ってきて。そしたら、何も言わずにノートパソコンのフタをバンッってすごい音を立てて閉めて、挨拶もなく、無言で帰っていったんです。」

「なんか無茶なこと言われたのかしら?」
「…そうですねえ。たぶん、ずっと嫌がっていたテストをやってくれとお願いされたんじゃないかなと思います。私も、そのあと、浅見さんに、少しペースを上げてくれとお願いされたので。」
「そうですか。昨日、僕が早く帰っちゃったからですかね。」
「それはまだ関係ないんじゃないですか?」
 目は笑っていないながらも、パッと口角を上げる吉沢さんの表情に見惚れていた吾輩に、デスクに座ったままの浅見さんから声がかかった。

「すみませーん、ちょっと山口さんいいですか?」
 朝が早いこともあり、まだ浅見さんは腕まくりをせずに、ジャケットすら着ている。心中は穏やかじゃないのだろうが、変わらず冷静に、横に立った吾輩に曰く、
「少し担当の割り当てを変更したいんですが。3Aの6画面のうち、山口さんの担当は、大きめの4画面に変えます。そのあとは、基本的にもともとは里見さんがつくったものを割り当てていたんですが、別の人がつくったもので割り当てます。」
「はあ、よくわからないんですけど、彼女がつくったものが僕の担当ではなくなるということに、何か意味はあるんですか?」
「プロジェクトにとって最適な作業を検討した結果です。」

 その常套句を言われると、吾輩も言い返せない。釈然としないながらも、了承の返事をしたとき、いつもYシャツの胸ポケットに入れている、吾輩のアイフォーンが震え出した。発信元は、営業の出水さんだ。これは出たほうがいいな。
「あっ、すみません。ちょっと電話がかかってきました。とりあえずお話はわかりましたので。」
 浅見さんとの会話を終わらせ、オフィスのゲートの外の廊下まで移動した。着信は止んでしまったので、こちらからかけ直す。

「おはようございます。山口ですが、出水さん、出れなくてすみません。お電話、大丈夫ですよ。」
「ああ、すみません。ちょっと誰に電話しても要領を得ないので、山口さん入られたばっかりですが、仕方なくお電話しました。」

「里見さんの件ですか?」
「そうです。来てないんですよね?」
 出水さんが続ける。
「彼女が言うには『やりたくない仕事を押しつけられた。面接のときに、他人が作ったプログラムは触りたくない、と強く言っていたのに、押しつけられた作業は、それそのものである。話が違うから、それが解消されるまで行きません』ということなんですが、そこにいる誰に電話しても、知らぬ存ぜぬだったもので。」

「なるほど。だから、彼女がつくったもののテストを取り上げられたんですね。たぶん、マネージャーは、彼女の作業が、自分でつくったプログラムの修正作業だけになるようにしようと調整していますよ。彼女にお伝えください。そんな子供みたいなことを言ってないで、とりあえず出てこい、と。」
 最後の言葉は、自分でも少し言い過ぎ観があったのもあり、出水さんはしばらく絶句気味だったが、要領は得てくれたようで、話はまとまった。

 デスクに戻る前に喫煙所に寄った。いつもより少し力を込めて、ジッポーライターをスナップする。チャリンという甘い音を聞いて、迂闊にも、例の憧れの先輩のことを思い出してしまった。そういや、あの人もこんな感じで強く言う人だったっけ。先輩が抜けたあと、プロジェクトを任されたのはスキルが似ていた若輩の吾輩だったが、あのころは、なにひとつうまくいかなかったな。