(12)フリーの意味を履き違えているということかな

 吾輩はシステムエンジニアーである。しかし、システムエンジニアーには明確な定義があるわけではない。

 記憶を固く閉ざしていたリナちゃんのことが脳裏から漏れ溢れ、胸が締め付けられる思いになった吾輩がどんな表情だったのかはわからなかったが、何かを察した小倉さんは、話題を本来吾輩が所望していたものに変えてくれた。

「ところで、大変な現場に来ちゃったね。初めてのフリーの現場なんだろ。ボクは、レインボーさんの上位の会社の、岸さんという人の紹介で途中から入っているけど、いろんな人の思いが交錯しているというか。」
「どうしてこうなってしまったのかは、まだ入って間もないんでわからないんですけど、ちょっと、ここのメンバーは、僕の考えていたフリーランスというのとは違和感があるんですよ。」
「というと。」
「たとえば、隣の席の吉沢さん。彼女はもともと歯科技工士からの転職で、フリーという立場で一生懸命システムエンジニアリングを修得しようとしている。いや、彼女はよいとして、やりたくない仕事を押し付けられたからといって現場に来なくなるひとがいたり、テストではなく新規開発をすることがプロジェクトにとって最適な方法であると言わしめるひとがいたり。」
「フリーの意味を履き違えているということかな。」
「いや、そこまでは言ってないんですけど、小倉さんは僕が新人のころから、フリーランスだったわけじゃないですか。確かに、プロパーの判断を仰いで仕事されていたわけですけど、それでも、普通のパートナーさんよりも、プロパーに近い位置で仕事をされているように見えた。それはつまり、プロジェクト全体や、会社やお客さんのこと全体を見て動いていらした。」
「それはそうだよね。ボクは一人社長で、営業でもあるわけだから。確かにシステムエンジニアリングだけがボクの仕事ではなかった。でも、プロパーに近いと感じたのは、ボクが山口くんのところに長くいたからとか、斉藤さんと古い仲だったからというのもあるんじゃない。」

 斉藤さんというのは吾輩がサラリーマンだったときの部長だったひとだ。そういえば「システムエンジニアーの価値は、IT以外のことをどれだけ知っているかで決まる」とか「仕事はプロジェクトマネージャーが取ってくるもの」というのは斉藤さんの教えだったように思う。吾輩が続ける。

「そうなんです。原価管理もするようになって、人脈や技術に裏付けができて、フリーランスになれると思ったから僕は独立したんです、僕は。」
 夜遅くさらに疲れていたからか、1杯目のジントニックがいつもより早く浸透してきたようだ。

「おやおや、それはたいそうなことで。ちなみに、言ったかもしれないけど、ボクも以前はサラリーマンだったんだよ。小さい会社だったけどね。とある朝出勤してきたらね、社長がみんなを集めて、『はい、いまこの会社は潰れました。再就職はできるだけ斡旋しますが、全員解雇しますので、就職活動してください。』って。会社ってそんなに簡単に潰れるもんなんだって、そのときは驚いたよ。知ってた?手形が2回不渡りになると会社って潰れちゃうんだよ。そんでいくつかあった人脈をたどって、斉藤さんに仕事を紹介してもらったりして、現在に至ると。」
 三十路を過ぎたばかりの吾輩には少々衝撃的な話だったが、笑い話のように言ってのける姿に驚きつつ、小倉さんは噛みしめるようにウィスキーを呑みこみ、

「山口くんの言うことはもっともだ。ただ、あのころとは時代は変わってきたし、ランサースタイルさんのようなビジネスモデルもある。違和感があるのは、仕事に対しての意識なんじゃないかな。『仕事』は妥協が許されず、つねに厳しさを伴うものと思うひとたちは、相手やチームの感情は二の次で厳しいことを言う。一方で山口くんは相手やチームの感情を重んじて全体を見ている。違いがあるのはそのへんなんじゃない?ただ、そういったものをふまえたうえでさ、今のプロジェクトが終わっても、また一緒に仕事がしたいと思えるかどうかだと思うんだけど。」小倉さんも少し酔ってきたかな。

「それからさ。」
「はい。」
「なんか山口くんは自分の思うシステムエンジニアー像に酔っている気がするね。」
 酒には酔っているが、それは思ったことはなかった。しかし、思い返してみると、リナちゃんが吾輩に好意を持ったのは、学生時代にやっていたIT系のアルバイト先で、プロジェクトマネージャーが優雅に仕事をこなす姿に憧れをもったことがきっかけだと言ったのを聞いて、この子は吾輩が好きなんじゃなくて、IT業界に恋をしているんだな、と思ったことを思い出した。吾輩も恋に恋い焦がれ、恋に泣いているのだと思うと、複雑ながらも、愉快な気分にもなった。帰って寝よう。