(13)これが個人の裁量か

 吾輩はシステムエンジニアーである。構想時は全12回だったのだが、いざ書いてみると、一向に終わる気配がない。そろそろ回収に入ることにする。

 酒席の乱れた会話をしらふのときに持ち出すのはタブーではあるが、あのあと、小倉さんに聞いた人間関係を整理する。
 いつも腕まくりをしている浅見さんは、現PLであるが、DBAの桜木くんに「現行踏襲」と言い放った安藤さんがもともとのPLだったようである。スケジュールが厳しくなり、無理がたたった安藤さんが体を壊し、1週間くらい休養していたときに代行としてやってきたのが浅見さんで、復帰後の安藤さんはサブリーダーとして落ち着いたようである。この3人がレインボーソリューションの主要メンバーである。

 いっぽう我々、ランサースタイルは、新規開発をすることが最適な山中さんと、彼に追従するもしぶしぶテストをすることになった里見さん、なんでこんなところにいるかわからない美貌の持ち主は隣席の吉沢さん。あと、昼間は一言も言葉を発することなく、朝9時に現れ、夕方6時きっかりに帰っていくお誕生日席に座っているのは蒼井さんというらしい。小倉さんによれば、蒼井さんがこのシステムのもともとの構造を設計し、ランサースタイルとしてのリーダー的な位置だったようだが、ある時期から、プロジェクトには一切口を出さなくなったそうである。
 エンドユーザーとレインボーさんの間には、元請の会社が入っていて、レインボーさんの上位にあたり、ランサースタイルはレインボーさんの一員として常駐している。小倉さんは元請の会社の、岸さんという人の紹介で直請で入っているそうで、岸さんはこのプロジェクトのPMだということだ。

 そして、元請の子会社もこのプロジェクトに参加しており、その会社の川村さんという人が、エンドユーザーから見た開発部隊の責任者だということである。岸さんはもともと技術者だったそうであるが、川村さんはインフラには長けているが、プログラムは書けず、もともと業務知識をカバーするために入ったということであったが、開発時のあらゆるコミットメントは川村さんの役割であり、彼にシステム開発の経験がないことに、安藤さんと蒼井さんに不満があったらしい。
 そういった立ち上がりからの経緯で、ある時期を過ぎ、蒼井さんはプロジェクト推進に関わることを辞め、安藤さんが体を壊し、どちらかというとエンドユーザーのわがままで帳票設計に不備があるとされ、新しい体制が明確に計画されないまま、浅見さんがやってきて、レインボーさんが会社的にソフトランディングを目指しているということのようだ。ようするに、このプロジェクトはすでにバラバラで、このあと、いかに波風立てずに終わらせるかが、浅見さんのミッションである。
 
 
 そんななか、吾輩のミッションは「3Aの大きめの四画面」である。進捗状況はおおむね不足しているプログラムの挙動が整理できたが、基本設計書にある「売上金の按分ルールについては別紙参照」の「別紙」が見つからない。ここに大層な業務ルールが書かれており、コーディングにインパクトを与えるような気がして、不足分のコーディングが始められない。どこを探してもないということは、体制が変わる前の出来事であろうから、安藤さんに聞くのが一番と考えた吾輩は、昨晩の小倉さんの話を確かめるために、一芝居打つことにした。基本設計書の該当ページをプリントアウトし、その部分に赤線を入れて、安藤さんのもとへ席を立つ。

「安藤さん、すみません。この設計書のこの『別紙』なんですが、どこにありますか?」
赤線を指さし尋ねると、太古の記憶を強引に呼び戻された安藤さんは少し不快な表情を見せ、
「あ、これね。これ、以前の構成で作ったものなので、今はどこにあるかわかりません。ドキュメントの管理ルールが決まっていないので。」とチラチラと川村さんのところを見る。視線に気づいた川村さんはこちらを向いて立ち上がり、
「いや、それは少し誤解がある。『管理ルールは定義しない』と決めたのであって、管理ルールがないわけじゃない。」その言葉を聞いた安藤さんはあきれ気味に
「それは『ない』のと同じでしょう。」
「うちのプロジェクト標準では、管理ルールを定義せずに個人の裁量に任せる、でも問題ないとなっている。このルールでうまくいった前例もある。」
つまり、あなたの立場としては標準には遵守しているから何の問題もないということか。
「そういうわけで、プロジェクト的にそのドキュメントはありませんので。何かありましたら、川村さんへ直接どうぞ。」
どうせないんだろうなあと、すごすごと川村さんにもインタビューしようと思ったら、吉沢さんがこっちこっちと手招きしている。バタバタと自席に戻ると、
「以前のドキュメントは別の共有フォルダにバックアップしてありますよ。これですよね。」

 良かった。これが個人の裁量か。